かぐやひめ「神田川」に歌われた銭湯は実在するか

かぐやひめ「神田川」に歌われた銭湯は実在するか

2020年4月13日

「神田川」という歌があります。
フォークソングの人気投票をすると大抵第一位になる、「南こうせつとかぐや姫」の代表曲、中年以上の年齢のたいてい方はご存じの、あなたはもう忘れたかしら♪という出だしのあの曲です。

青春の1ページを思い出して歌った歌ですよね。

この曲に出てくる銭湯はいったいどこなのか、それ以前に実在するのでしょうか。

私ごとですが、歌に出てくる銭湯がどこなのかをずっと気にしていました。
なぜならこの曲が作られたころ、まさに神田川沿いの小さな一間のアパートに住み、近くの銭湯に通っていたからです。
当時、私は幼児で、一家4人で6畳一間の下宿屋に住んでいたことがあります

かぐや姫「神田川」作詞:喜多条忠

この曲ができたあらましはこうです。

当時、文化放送で放送作家をしていた喜多条忠氏に、新曲のキャンペーンで訪れていた南こうせつが作詞を依頼したそうです。
喜多条氏は帰宅後、新聞の折込チラシの裏に自らの学生時代のほろ苦い想い出を綴り、歌詞を作ったということです。

当初、この作品は『かぐや姫さあど』(LP、1973年7月20日発売)の収録曲でしたが、当時南こうせつがDJを担当していたTBSラジオの深夜放送ラジオ番組『パックインミュージック』で本作を流したところ、聴取者からのリクエストが殺到し、同番組のリクエストランキング1位を獲得ししました。

これを受けて日本クラウン社内で制作会議を開いてシングル盤として発売するかどうかを決める際、名物プロデューサーであった馬渕玄三が「この曲は歴史に残る名曲になる。これを出さなかったら日本クラウンは一生の恥をかくことになるぞ」と強力にシングルカットを推したため、「神田川」はフラット・マンドリンの演奏を追加したバージョンをレコーディングした上で改めてシングル盤として発売されました。

ちなみにこのシングル盤は、最終的に120万枚または160万枚、200万枚以上を売り上げ、かぐや姫にとって最大のヒット曲となりました。

かぐや姫「神田川」の下宿は実在するのか神田川,

「神田川」は1970年代の若者文化を象徴する作品のひとつに数えられており、中野区内の末広橋近くの公園には「神田川」の歌碑が建てられています。

ですが、ここは歌の舞台とはなんも関係ない場所みたいなので、なぜここにあるのかは謎です。

調べてみると、実際の歌の舞台はもっと下流の戸田平橋付近で、喜多条氏が住んでいた「三畳一間の小さな下宿」は豊島区高田3丁目7-17に所在した「千登世旅館」(2008年廃業)の隣にあったことがわかりました。

どうやら下宿は実在するようです。

下宿は住所が豊島区なんですね。ちょっと意外な感じがしました。
今では閑静な住宅街といった感じで、近くにはたしかに神田川が流れています。

現在ではあの頃は絶対になかったであろうインド料理屋さんがあったりして、時代の移り変わりを感じます。

かぐや姫「神田川」の銭湯は?

下宿屋さんが実在していたことはわかりました。

では銭湯はいったいどうでしょうかでしょうか。

「新宿文化絵図」という本の「新宿探検コラム6 町田忍著」にはこういう記述があります。

この歌に登場する銭湯が実在していたとは、実はあまり知られていません。その銭湯の名は「安兵衛湯」。住所は西早稲田三丁目、現在の甘泉園近くの路地から少し入った場所にありました。現在は廃業し、マンションとなって当時の面影は残っていませんが、安兵衛銭湯のあったところの北側を通る都電荒川線を超えると、神田川が流れているのです。

新宿探検コラム6 町田忍著

これを書いておられる町田忍氏は、とある民宿で喜多条氏と偶然同宿したことがあり、直接「あの銭湯は本当にあったのですか?」と聞いています。
直接、作詞をした本人に聞いているので間違いありません。

そしてその答えがかつて高田馬場にあった「安兵衛銭湯」であったというのです。
現在は廃業し、マンションとなって、ここも残念ながら当時の面影は残っていません。

安兵衛銭湯

銭湯もはやり実在していました!

前述の下宿は豊島区ですが、この銭湯の住所は西早稲田。
場所は東京都新宿区西早稲田3-4-8付近
区は違いますが、距離はかなり近いんですね・・・。

そして2つを結びGoogleMapで徒歩の時間を調べるとだいたい徒歩13~15分くらいです。
下宿を出て、神田川沿いをあるき高戸橋を渡り、面影橋あたりで右折、7つ目を左折すると安兵衛銭湯です。
2つの区をまたいで銭湯に通ってたということでしょうか。

 

今はどこの家も内風呂になりましたし、あの時代のように銭湯通いをする人は少なくなったでしょう。
残念な気もしますが、時代の流れで仕方がありませんね。

この歌ができた昭和40年代は、神田川付近には歌詞に登場するような三畳一間の小さな下宿がたくさんありました。
もちろん、部屋には風呂は付いてないので当然銭湯です。

銭湯、多かったんですよね。
新宿区内に100件あった銭湯も半分以下になってしまいました。

もしかして私が子供の頃通ってたのと同じ銭湯かな?と期待したのですが、私が通ってた銭湯は駅を挟んで逆側にありましたので違ってました、残念。

 

出典:早稲田ウィークリー

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